実践者インタビュー #7 ホイコーロー大好き!さん【OEMで起業!】
2018/06/21
インタビュー記事第7弾!
ということで、今回も面白いお話を聞いてきました。
今回インタビューしたのは『ホイコーロー大好き!』さんです。
(最近、わざとみんなふざけたニックネーム指定している感がある笑)
個人的にも仲良くさせてもらっているおじさんで、
地方遠征の際にはいつも一緒に遊んでくれます。
ほぼいきなり中国OEMから始めた方なので
すごく新鮮な内容になっていると思います^^
ぜひ楽しんでください!
中国OEMとの出会い
ーそれでは宜しくお願いいたします。
「よろしくお願いします。」
ーまずは、ビジネスを始めようと思ったきっかけと時期を教えてもらえますか?
「今から3年半ぐらい前になると思いますが、
当時勤めていた会社とその業界の未来がどうも怪しくて
今後家族を養っていくためにはどうしたら良いかを考えていました。」
ー怪しいというのは、存続的に、ということですか?
「そうですね。当時勤めていたのはいわゆる繊維業の会社でして。
アパレル関係の商品を作って、それを卸す。というような業態でした。
当時すでに店舗型アパレルの売り上げなどは下がっている時期でしたし
また、海外の工場を取り巻く環境も色々と変わってきていて
この会社自体がいつまで存続できるのか?
そもそもこの業種に未来はあるのか?
に対して強烈な不安を抱えていました。」
ー僕の記憶が正しければ、同じ業種の違う会社で働いていて
ヘッドハンティングでその会社に入社されたんですよね?
「ヘッドハンティングというほど大したものじゃあないですが
そういうことですね。
その分、自由に動かせてもらっていましたが
だからこそ色々なことが見えて不安も大きかったのだと思います。」
ー側から見ていて、大阪に住んでいるのに毎週平日は東京に出張に来ていて
なんか楽しそうでしたが笑
「楽しいは楽しいんですけど、それにも不満はありましたね。
結局、移動の時間も突き詰めれば会社に拘束されている時間なので、
本当の自分の時間も実際はそんなにありませんでしたし。」
ーかなり給料も良かったと思うのですが、
やはり不満ってのは出てくるものなんですね。
「そうですね。それで、色々と情報収集をしていまして
そこでネット物販に出会いました。
最初は欧米輸入だったと思います。」
ー独学でスタートしたのですか?
「いえ、一番最初にある方の1日コンサルティングなるものを受けまして
それで『これはいける!』と確信してスタートしました。
この時点でいつかは会社をやめようと思っていましたので
まずは副業からはじめてある程度自信ついたらすぐにでも
独立するつもりでしたね。」
ー実際取り組んでみていかがでしたか?
「それが、ちょっと欧米輸入は自分には合わなかったです。
合わなかったと言っても、なんとなく違う感じがしたので
ほとんど作業していないのですが(笑)」
ーなるほど笑
ではその後にOEMに移行したのですか?
「実際はその後に中国輸入の無在庫販売を少しやりました。
これまたそれを教えていたコンサルタントの方がいまして
その方に教わった形です。
ただ、それもどうも合わなくて(笑)
モヤモヤしていたら、そのコンサルタントの方から
『OEMはどうですか?』と提案されたんですね。
そこで完全にビビっときました。」
起業と融資
ー当時のお仕事で中国の工場とやりとりをしたりってのもあったんですよね。
また、繊維関係の仕事なのでその辺りにも詳しかったと。
ビビっときた要因にはそのあたりもありますよね?
「そうですね。これはいける。となぜだか確信しました。
確信した瞬間にすぐに会社を辞める手続きを始めましたね。」
ーはじめてお会いしたのはその頃ぐらいですよね?
今でも覚えていますが、いきなり連絡がきて
『奢るので飲みませんか?原宿に美味しい焼き鳥屋さんあるんですよ。』
ですからね笑
そのような連絡もらったことなかったので、二つ返事でお会いすることにしました笑
「確かそんな感じでしたね。
OEMに出会ってすぐぐらいだったので
何かをしているわけではなかったのですけど
意見を聞きたい気持ちがあったのだと思います。」
ーその際にお話ししたテーマは『会社やめるべきか』でしたね。
でも、その相談を受けていて明らかにこの人会社辞めるつもりで
確認しに来ているだけだな。と感じましたので
辞めましょう!みたいな話に終始していた記憶があります。
「そうですね(笑)
最後の一押しをしてもらいに行ったのだと思います。
ある程度ポジションのある会社でしたので、
辞めると決めてから数ヶ月は引き継ぎなどに時間がかかって
実際辞めたのはお会いしてから半年後ぐらいになりましたが。」
ーその後、退職をして独立されるわけですが、
ほとんどそれまでこれと言った結果も出ていない状況で
いきなりOEMに取り組むことには不安はなかったのですか?
「ほとんどなかったですね。
ちゃんとやれば絶対に結果出るだろうと思っていましたので
でも、誤算はありました。」
ー誤算?
「はい。今考えれば当たり前の話なのですけど
お金が足りなかったんですよね。
先出しのビジネスですから、原資がある程度ないとそれなりの勝負ができない。
それに起業してから気づきました。」
ーなんかそういう人多いですよね。(自分含め)
どのように対処したのですか?
「融資ですね。結論からいうと最初の融資で
1500万円引っ張ることができました。
それがなかったらきつかったですね。」
ー1500万!!一箇所からそれだけの融資が降りたのですか?
「いえ、地銀に1000万円、公庫で500万円ですね。
どちらかだけ通れば良い、もしくは満額でなくても良いと思っていましたが
どちらも満額出てくれました。」
ーそれって何かコツなどはあるのですか?
「1にも2にも準備だと思います。
具体的には創業計画書ですね。これにどれだけ力を注げるかです。
まだ実績がないわけですから、まだ見ぬ売り上げなどを
理論立てて説明しないといけません。
それに、自分が審査をする立場だったら、力の入っていない計画書を
提出されたら『この人大丈夫か?』って思いますからね。
説得力のある計画書を作ることによって、熱意も伝わると思います。
具体的に、300万融資の場合、500万融資の場合、1000万融資の場合、
という具合に何種類も計画書を作って、
融資額多い方が成功率も高いよ。ということも伝えました。
面談の準備なども大切です。
僕はかなり準備をして面談したので、
むしろ話し足りないぐらいでした。
でも、そのぐらいで普通だと思います。
大きなお金を貸してもらうわけですからね。」
ー確かにそうですよね。
公庫と地銀で何か違いはありましたか?
「やることは変わらないのですが、
僕の場合は公庫には直接申し込んで、
地銀は保証協会経由での申し込みでしたので、
地銀の担当者が協会の人間に融資の詳細を伝えないといけないんですよね。
伝言ゲームになりますので、
それだけにこちらの意図するところを
より過不足なく伝わるように意識しました。
そういう意味では担当者次第ってところもあると思います。」
ーなるほど。
しかし1500万はすごい。
すぐには使いきれない量じゃないですか?
「いやそれが結構なペースでなくなるんですよ(笑)
最初は余分に借りたなぁ。と思っていましたが
今考えるとあれより少なかったらきつかったかも。
まぁ当時はお金の使い方も何もかも、甘かったところもありました。」
中国OEMのコツ
ー具体的に、OEMをはじめてどのあたりが『甘かった』と
感じましたか?
「商品選定も甘かったですし、お金も無駄に使いました。
でも一番は商品選定ですね。
今やっている基準と比べると商品選定が荒すぎましたね。
どんどん商品を作らないといけない。
という思いもあったからなのですが、
それを差し引いても適当すぎました。」
ーそれが変化するのって独立してからいつぐらいだったのですか?
「独立してから1年弱ぐらいの時期だと思います。
もともとOEMの存在を教えてくれた例のコンサルタントの方が
少し大きな規模のスクールをやるということで、
そのスクールの講師をやらないか?というお誘いをもらいました。
それが大きなきっかけだったと思います。
他にも講師の方がいて、その方達に刺激をもらったり
少なくとも自分の情報は教えていかないといけないので
それまで以上に、商品選定のこと、Amazonのことを
研究するようになりました。」
ー基準が上がった。ということですね。
その後は具体的にどのように戦略が変わったのですか?
「まず、どんどん商品を作ることを辞めて、
品目数は少なくしました。
その分、1商品に力を入れて育てていくと。
1つの商品である程度の売り上げを上げられるように。
と言う戦略に変わっていきました。」
ー話せる範囲で良いのですが、
今ってどのぐらいの商品数で、どのぐらいの規模なのですか?
「8品目ぐらいですね。
品目ごとにバリエーションがありますので
細かい商品種類はもっとありますがそんなもんですね。
規模としては大体月に売上で600万円ぐらいです。
利益率は45%ぐらいですね。」
ーふぇぇぇぇ!!すげぇ笑
ってことは半分近く利益になるってことですよね。
しかも1品目80万近い売上かぁ。
そう考えると夢があるなぁ・・・
そりゃあんなに広い事務所も借りるわけだ笑
「そんなに大したことないですけどね。
どんどん新規商品に投資するので
お金が余っているってわけでもないですし。
隙を見ては海外に出張に行ってますし」
ーいや、すごいでしょ!
そう言えばおっしゃる通り、よく現地に行かれていますよね?
中国だけじゃなくて、いろいろな国に調査に行っている
印象があります。やはり商品の品質にはこだわっているのですか?
「そうですね。国によって特色がありますからね。
物価や人件費の違いもありますけど
それ以上に国ごとにこの国はこの素材に強いとか
関税の関係で安く作ることができるとか。
あとは国民性とか。色々と差があるんですよね。
同じ商品でも、最初は中国で作っていたけど
途中で生産国を変えたなんてことはザラにあります。」
ーやはり商品の質って大事ですか?
「すごく大事です。
変な話、ネット通販って商品画像を良く見せて
コピーを練って、SEO対策をすれば基本的には
なんでも販売することができます。
でも、それだけだとその後に繋がらないんですよね。
やっぱり最後は商品のクオリティです。
そこが甘いと、結局長く売り続けることができません。
なので質にはすごくこだわっていますね。
一度リリースした商品も、どんどん改良を重ねていきますし
それによって競合他社が簡単には真似できない
商品になっていきます。その繰り返しですよね。」
ーなるほど。実際に現地に行って調査をするメリットって
どんなものがあるのですか?
「工場の作業環境を見て初めてわかることだったり、
展示会に行ってアイディアをもらってきたり、
いろいろなメリットはあるのですが、
やっぱり一番は直接会うことです。
主に工場運営の社長と会うわけですが
向こうからしたら『わざわざ会いにくるほど真剣なんだ』
と思ってくれますし、
会って話すと、メールや電話とは比べようもないレベルで
意思の疎通ができますからね。
それによって帰った後も、こちらの要望がかなり通りやすくなります。
真剣にOEMに取り組むならば、現地に行かない選択肢はないですね。」
ーこのビジネスで結果出している方は
口を揃えてそうおっしゃいますよね。そうだよなぁ。
あとは他にコツみたいなものってありますか?
「商品選定で言えば、安く仕入れて高く売る。と言う鉄則がありますが
今までは『安く仕入れて』の方に重きがおかれていたんですよね。
中国なので、当然仕入れ値は安いのでそこばかりが注目されていたと。
なので、すでにAmazonでたくさん売れている商品をちょっとだけずらして
安いコストで作り、需要がわかっているところでかぶせて販売する。
これが今までの中国OEMの鉄則だったのですが、
その方法は個人的には面白くないと思うのと、
これからはだんだん難しくなってくると思います。
どちらかと言えば『高く売る』に着目しないといけない。
そのためには単にAmazonで売れている商品だけを見るのではなく、
隠されている需要とか、求められているニーズを察知して
自分のアイディアを入れつつ、良いものを作らないといけませんね。」
ーそれ僕も全く同じこと感じます。
多分、今までの中国OEMって販売単価2000円ぐらいのものを
仕入れ500円で販売していこう!!って要素が強かったのですが、
今後はそれじゃあダメだなと。
アジア各国の技術力も上がって、コストもだんだん上がっているので
もっと高価格帯で、かつクオリティの高い商品を作っていく
必要があるなって思いますね。
日本はまだ技術ありますが、そのうち追い越されると思うし。
「そうですね。
うちも今商品開発をする際は大体6000円〜8000円の
価格帯で販売することを想定して取り組みます。
そうなると制作コストは2000円ぐらいなので
かなり良いものが作れるんですよね。」
ーですよね。
とても参考になりました。
ちなみに、今後はどのような目標をお持ちなのでしょうか?
「独立したときは『家族が食えればそれで良し』と思っていました。
でもここ最近、その感覚が変わってきていまして、
もう少しチャレンジしたいなと思っています。
具体的には年商5億ぐらいの組織を作りたい。
その上で、ブランド売却まで行けたら最高だなと。
売却してもそれでリタイアではなくて、その資金で
また新しいことをしたいなと思っています。
組織という意味ではここ最近はパートさんも雇うようになって
少し賑やかになりました。
どうやら自分は1日に4時間ぐらいしかまともに働けないので(笑)
その4時間は全てクリエイティブな仕事をしたいと。
なので組織化ももう少し進めないといけないなと思っています。」
ーなんかOEMで結果を出した人って大体そっち方面に行くなぁ。
この前のマグロ漁師さんも年商100億目指すって言ってたし。
いやぁ、刺激になりました!!
長時間ありがとうございます!
今年仙台行くのでそのときもぜひお越しください!
「もちろんです!
ありがとうございました。」