ブログ最後の記事だと思って伝えたいことを書いてみた
2018/09/23
例えば、何かの理由でもうすぐ死んじゃうことがわかっていて
ブログ最後の記事を書くみたいに、
例えば、何か一身上の都合があってブログの継続ができなくなって
最後の記事を書かないといけない状態になったとして。
最後に何を書くかなぁ?と想像して、
記事を書いてみます。
きっと、ブログじゃなくて近しい人に
何か伝えるとしても同じことを伝えると思うんだけど
ぜひご覧いただければと思います。
本を読め
とにかく、本を読む習慣を身につけてほしい。
本は他人の人生を追体験できるツールであり、
それが今の世の中では1000円程度で手に入れることができる。
そして、読む場所を選ばない。
コスト的にも、手軽さ的にも、本に勝る
人生の勉強ツールはこの世にないと思っている。
自己啓発本でも良いが、できれば小説や自伝系、ノンフィクション系などを
中心に本を読むべき。
人の深みというのは、如何に様々な人間を『知っているか』に依存する。
当然だが、直接人に会い、直接深く話した方がその人のことを深く知ることができる。
だが、そのレベルまで話を掘り下げるためには
対象と多くの時間を共有しないといけない。
それではあまりにも時間が足りなさすぎる。
だから、本を読むべきだ。
本を読み、語彙力を深め、人間に対する許容範囲を広げ、
自身の常識の範囲を拡大させる。
すぐに効果は出ないかもしれないが、
確実に、より魅力的な人間になりその後の人生を助けてくれる要素になる。
人間は知性の生き物だ。
知性というものは0から湧き出るものではなく、
すでにある既知情報から脳内で組み換えや結びつきを経て
表面化するものだから、その元となる情報を如何に
蓄えておくかが重要となる。
だから最初は好きな人物の本や、好きな作家の本から読み始めて良いが
できれば興味のない人物や作家の本も読んでほしい。
世の中には様々な人がいて、様々な考え方があるが、
その両端を知ることによって、本当の自分の考え方を
構築することができる。
今の時代、同じことを音声コンテンツや映像コンテンツでも
学ぶことができるが、まだまだその数は本には及ばない。
数年後はどうなっているかわからないが、
少なくとも今は本を読まないと取り入れる情報には
制限がかかってしまう状態だ、だから本を読もう。
これからの時代、最終的には『その人がどんな人間か』が
より重要になるし、それが収入や権利にも影響するようになる。
だから、今今の収入を増やすことも大事だが、
それ以上に自分を高めることは比べようもないほど重要だ。
各人、今の生活を確保するために、将来を安泰化させるために
日々忙しいとは思うが、それでも無理やりでも良いから
時間を作って読書するべきだ。
人と会え
兎に角、なるべく多くの人と会おう。
自分は一時、人と会うことを避けていた時期があった。
会社を辞めたのも人間関係が大きな原因であったし、
ある意味、個人でビジネスを始めたのも人間と極力かかわらなくて
良いと思ったからである。
しかし、実際にそのような生活をしてみて強烈に思ったのは、
結局人間は人との関わりの中にしか意味を見出すことができない
生き物である。という結論だ。
最近のビジネスのトレンドが『オートマティック化』から
『あえてのアナログ化』に移り変わりつつあるように、
どれだけ世の中が便利になっても必要な部分は残り続ける。
これだけSNSが流行った結果、
今では誰もが過去にはあり得ないほどの数の人と関われるようになった。
だが、人一人に対する関係の深さはどうなったか?
一概には言えないだろうが、きっとどんどん浅くなっているはずだ。
今後は、今のSNSの形ではなく、
今で言うオンラインサロンや、コミュニティーのように
一つのキーで人が結びついて、より深い関係を構築するような
サービスが流行るはずだ。
これは、原始的に人間が求めているものがそれだからであって
一種の行き過ぎたデジタル化の修正力だと考える。
だからこそ、今のうちからたくさんの人と会うことをオススメする。
コミュニケーションは勉強で学ぶことはできない。
実際に人と会い、実際にやり取りをすることで
始めて磨かれていく能力である。
そして、次の時代に求められる能力は
間違いなくコミュニケーション能力である。
だから、兎に角数多くの人と会う。
チャンスがあれば人がいる場に赴く、
そしてできるだけコミュニケーションを取る。
人間関係の悩みの多くは『嫌いな人と関係を続けないといけない』
から起こるわけであって、
自分が選んで人と付き合っている間には人間関係の悩みは
限りなく起こりづらい。
仮に、そのような状態になったら、すぐにその関係を終えれば良いだけだ。
むしろ、人間関係によって悲しんだり、苦しんだりすることこそ
その人の魅力を更に向上させる種になる。
だから、そのようなストレスを怖がらずに
どんどん人と会うべきだ。
投資をしろ
意味のある投資は100%損にはならない。
もちろん、金銭的な部分だけを捉えれば損になるケースも多々あるが
トータルで見れば、損になっていないことがわかるはずだ。
意味のある投資、とは、考えた結果決めた投資のことだ。
突発的に行った浪費ではなく、
しっかりとした考えの上で行った投資であれば、
それが金銭的にはマイナスになったとしても、
経験や環境などの部分でプラスを生み出してくれる。
特に『自分への投資』はより重要だ。
お金を稼ぐだけであれば、
FXや株式等の純粋な投資を勉強し、
そこにベットするのが一番だろう。
しかし『資産』を増やすのであれば
そんなものより、自分や他人へ投資をする方が
間違いなく効果が高いはずだ。
『資産』にも色々と種類があり、
『信用』『環境』『能力』『経験』『権威』『人脈』
これらすべてがれっきとした資産である。
人生は掛け算みたいなもので、
何かのチャンスがあるたびに
自分×チャンス
の掛け算が行われている。
だからこそ、自分が『1』なのと『1.1』なのでは
大きな差が出るわけで。
その瞬間だけ切り取ると、たった0.1の違いだから
目に見えた効果は実感できないのだが、
一旦1.1になればその後もずっと1.1なのだから、
長期的に見るとそんなに良い利回り物件はないのである。
自分への投資というと、
わかりやすいのは勉強系の投資だが、
それだけではない。
旅行や、芸術鑑賞などで経験を増やすのも投資だし
趣味を突き詰めるのも投資だし、
極端に言うと、関係のある他人に対してお金や時間を使うのも
れっきとした投資である。
だから、それらに制限はなるべくかけない方が良い。
破産するほど投資をするのはもはや『考えのない』投資であるから
当然オススメはできないが、
しっかりと考えた結果の投資ならば、
どんどんやるべきだ。
そこに『勿体無い』『貯金が減る』などの感情はいらない。
最初は少し投資をするのにストレスがかかるかもしれない。
しかし、そこに慣れ、何度も体験を繰り返していけば、
それこそがむしろ一番『勿体無くない』リソースの使い方だと
実感することができるはずだ。
工夫しろ
とにかく常に考えて、今以上のものがないか考えるべきだ。
それは、金銭的な話ではなく、
例えばもっとスケジュール管理を楽にできないか?
もっと旅行の予約の精度を上げられないか?
もっと寝起きが良くならないか?
もっとコストやすくご飯を食べられないか?
もっと毎月の固定費を下げられないか?
今は、パソコン、スマホを開けばそれらの答えがゴロゴロ転がっている。
それを知っている人からすれば、簡単にもっと良くなるのになぜやらないの?
そんなことでも、当人からするとわからないからやらないのである。
なぜわからないか?
それは知ろうとしないから。
なぜ知ろうとしないか?
それは現状に疑問を持っていないから。
だからこそ、まずはスタートとして、現状に疑問を持つこと。
今以上はないのか?と問い続けること。
その上で工夫できることがあるのでは?
と常に問い続けることが重要だ。
効率化や今より便利な生活などを想像するときに
多くの場合は『大変な労力をかけて』それを達成すると思われがちだが
ほんの些細な労力で大きく変化が起きることも少なくない。
問題はその方法を知っているかいないか。
そして、その鍵となるのが『知ろうとするか?』なのである。
全ての人が『今よりもっと良く』と考えて生きているはずで
(それは収入とか贅沢な暮らしとかそのような視野の狭い話ではなく)
一方、ある意味思考停止のまま毎日を過ごしている傾向もある。
より貪欲に、常に今に疑問を持って、
工夫し続けることができれば、
きっと『今よりもっと良い』何かに近づけるはずだ。
今を楽しめ
最後に伝えたいのは『今を楽しむ』ことだ。
日々を刹那的に生きろと言うことではない。
例えば、将来のために収入を増やしたくて
今の今、努力につぐ努力をしている方もいるだろう。
しかし、それが完全な苦行になってはいけないと思う。
どんなに忙しくて、どんなに大変な仕事をしていようとも
そこには必ず見いだせる『楽しさ』があるはずである。
逆説的に言うと、どんなに考えてもそれを感じられない仕事は
やめた方が良いのかもしれない。
(個人ビジネスにおいてもそう)
人間なんて、いつ死んでもおかしくないほど脆弱に作られているわけで
であれば、いつ死んでも後悔が無いように生きるのが正常と言えよう。
よく引用する言葉に
『明日死ぬかのように生きよ。
永遠に生きるかのように学べ。』
と言うガンジーの言葉がある。
つまり、
『まだ死なないかのように生きて、
明日死ぬかのように勉強をしない』
のが一番よろしくないパターンであって、
より、その逆のバランスを成立させるのが
人生トータルで見た際の、また、いろいろな可能性の全てを見たときの
最良の生き方だと自分は思う。
しかし、これは大変難しいことで、
意識したところで成せる業ではない。
だからこそ、せめて今だけは楽しむべきだと。
常に楽しくいられるように過ごしていれば
少なくとも死ぬ際に後悔は少ないはずである。
個人的な経験から、今を純粋に楽しむのは
それでもなかなかに難しいと感じる。
それでもその意識を持とう。
毎日、できる限りやりたいことをやり、
努力も最大限に行い、ゆっくりするときは死ぬ気でゆっくりする。
つまりは全てのことに妥協をしないと言う意味だ。
どうせ一回しかない人生だから、どう生きたって誰にも文句は言えない。
そこに他人の目や、世間体は関係ない。
逆に一回しかない人生だから、自分のために使わないと勿体無い。
振り返ってみれば、人生なんてかなり短いものなはずだ。
死ぬ間際に『一生懸命生きたなぁ』と感じることができるぐらい、
今を真剣に、そして楽しく生きた方が良い。
その意識を持った方が良い。
細かいことは考えなくて良いと思う。
常に真剣でいること。
それだけ意識していればここに書いた全てのことは網羅できるはずだし
きっと最後に後悔は少ないはずである。
願わくば、これを読んだ全ての人の人生が
後悔のないものでありますように。