今日の出来事 人気記事

能力の優劣について、過度に気にするのは無駄だよって話

 

 

 

こんにちは。としぞーです。

 

最近ですね、とっても毎日が最高なんですよ(低語彙力)

 

んで、それに関連してちょっと面白いことに気づきましたので
今日はそれをシェアしようと思います。

 

他人との能力差に過度に悩んでしまったり、
コンプレックスを感じている方には参考になる内容だと思うんで
ちょい長いですけど、ぜひ最後までご覧ください^^

 

 

2020年5月24日現在。

 

世の中は新型コロナウィルスによって
大きな変化を迫られています。

 

その変化はときに収入やキャリアに大きな傷をつけ、
ときには今まで気づかなかったことを気づくきっかけになったりしていますね。

 

まだまだ大変な時期は続くので、
各人気合入れて頑張らないといけないなって感じなんですが、
その中でも例えば会社員の人とかですと、
今まで当たり前のように、毎日通勤して忙しくしていたけど
家で仕事するようになって

「今までやってきたことって本当に必要なことだったのか?」

と疑問を持ったりとか、

「お金のために今までほど頑張る必要があったのか?」

などと、今一度これまでの人生についてじっくり考え、
その価値観を改めた人も少なくないと思います。

 

起きてしまったことはしょうがないので、
そのようにして少しでも今回のきっかけを
プラスに働かせる必要があるなと感じるわけですが、

そんな中、僕自身も一つ大きな気づきがありました。

 

それは『やっぱり自分は引きこもり』ってことです。

 

コロナ禍による影響が出始めてからすでに2ヶ月以上経っています。
僕自身は、4月頭から完全自粛体制に入っており、
家族以外の誰とも会わず、常に家の中にいる生活をしているんですね。

 

毎日同じ時間に起きて、毎日同じような仕事をして、
毎日同じような家族との会話をして、
毎日同じような家事をして、毎日金麦飲んで寝る。

 

ざっくりいうと、延々とこの繰り返しです。

 

この繰り返しが、最高に最高なんですよ(語彙力)

 

もうね、この生活が死ぬまで続くのが最良なんじゃないか?
って思えるほど、しっくりきちゃってるんですね。

 

そのため、今後もコロナを言い訳にし続けて、
ずっと外に出ないようにしようかなと思うほど、
毎日が充実しております。

 

 

んで、ここからが本題なんですけど、
この生活を『最高だ』って思える人って
そんなに多くないと思うんですね。

 

多くの方は、外に出られない。
人と会えないことをストレスに感じているはずです。
それが普通なんですけどね。

 

で、じゃあなんで自分は籠ることをストレスに感じていないのかっていうと、
それは自閉症スペクトラムの気があるからなんですよ。

 

デリケートな部分なんで雑には扱えないのですが、
軽度なんだけどそれなりに日常生活では不利がある程度の
症状だと思ってください。

 

自閉症スペクトラムの特性として、
自分のルーティンが崩れると発狂しそうになるぐらいストレスが溜まる。
という要素があります。

 

僕もそれと近いところがあって、
毎日同じ流れで仕事をするのがかなり気持ち良いし、
それが崩れると結構ストレス感じちゃうんですよね。

 

だから、そのルーティンが崩れる突発的な予定がたくさん入っていると
それだけでなんか嫌な気分になっちゃったりするんです。
(だから予定はあまり入れないようにしている)

 

普段はこれが若干の足かせになっているのですが、
現在においてはむしろ良い方向に作用してくれているんですね。
だって、毎日同じことできるから幸せ以外のなにものでもないんです。

 

かたや、それを苦痛に感じる方がいる中で、
自分はむしろ幸せを感じているって超お得じゃないですか。
そんな状態なんですね。

 

 

 

ここからちょっとややこしい話をします。

 

進化論的な考え方の中に『多様性』というものがあります。

 

進化は取捨選択の上に成り立っているという説が今最有力なんですけど、
つまりは生き残った種が結果として生き残っているのであって、
そこに誰かの意思も目的もない。
極論そういうことなんですね。

 

キリンは首が長くなりたかったわけではなくて、
たまたま首が長めのキリンが生存に適していて、
それが何代も続いたから、結果として首が長くなった。
そんな感じです。

ってことは、首が長いキリンが生まれていなかったら
(みんな首の長さが同じキリンだったら)
キリンは今のような進化をしていないどころか、
絶滅していた可能性すらあるんですよね。

 

このように、首の長いキリン(バグと言っても良いでしょう)
が種の中に存在することを『多様性』って言います。

 

で、種の存続を考えた際には『多様性』ってのがものすごく重要なんです。

 

先ほども述べたとおり、種が全く同一方向に一直線に進化をすると、
環境の変化によって一気に絶滅する可能性があります。
マジョリティの中になんか変な形のマイノリティがいた方が、
急激な環境の変化があった際にマイノリティ側が適応して、
種の歴史を引き継いでくれる。みたいなことが起こりうるんですね。

 

なので、進化や種の存続においては、
多様性がめちゃくちゃ重要なのです。

 

 

で、今回のコロナですよ。

 

大袈裟に言えば、今解説したことと近いことが起こってるんですね。

 

自閉症スペクトラムって言ったら、
通常時はマイナスの要素ですよね。

社会には適合しづらいわ、生きていくだけでも不便だわってことで
普通、コンプレックスになってもおかしくない特徴なのです。

 

でも、コロナ禍においてはそれが有利に働く場面があると。
仮にこのままあまり外に出られない世界が来たとして(こないけど)
そうしたときに、もしかしたら自閉症スペクトラムの遺伝子の方が
長期的に見たら引き継がれていって、
十分な時間が経ったのちに、世の中の自閉症はマジョリティに
なっている可能性だってあるわけですね。

 

これが多様性の面白さなんです。

 

 

僕は元来、人の能力差や個性についてあまり何も感じません

 

例えば、僕自身が劣っているところ

 

・地図が読めない
・顔がでかい
・暗記力が弱い
・精神的ムラが激しい
・足が遅い、泳ぎが遅い
・予定を立てるのが下手
・時刻表が読めない
・人の話を聞かない

 

あげればキリがないですが、
これについてコンプレックスを感じたことはありません。

 

また、僕自身は客観的に見て並よりは総合的な意味で頭が良いと認識していますが、
(だいたい100人いたら3位と4位の間ぐらい。
日本全体では自分よりも頭が良い人が300万人超いるイメージ。)
それについても同様に優越感を感じたりしません。

 

それぞれが自分に備わった単なる個性だと感じているし、
それ自体が種全体を支える多様性の一端だと思っているからです。

 

つまり、今マイナスだとされている能力や個性は、
環境が変わればプラスになる可能性もあるし、
今もてはやされている能力は、環境が変われば
無用の長物どころか、マイナスになる可能性もあるわけです。

 

そう考えると、今このときの能力の違いなんて、
単なる違いであって、優劣ではないことに気づくじゃないですか。
もちろん、そのゲームのルールにおいての優劣ではあるんだけど、
それが人間の尊厳を測るようなものではないよねって。

 

 

だから、これは声を大にして言いたいんですけど、
個性や、能力の多寡で、人間の優劣は測れませんよと。

 

 

仮にそのように優劣を決定づけるような人がいたら
その人はとんでもなく頭が悪い人でしょうから無視すりゃいい。

 

同時に、もしそのような要素で自分に対してマイナスの感情を抱いてしまうなら
ぜひ今回の話を思い出して欲しいなと思うわけです。

 

 

何度も言いますが、今この世の中で能力が高いと思われている人は、
単に今の世の中のルールに対して適性があるだけであって、
人間として優れているわけでは決してないですからね。

 

人間全体の種としては多様性こそが重要視される必要があって、
過去にもその逆転劇は何度も何度も起こってきているわけです。

 

そして。

 

今後の世の中はその『世界のルール』が高速かつ頻繁に
書き換えられるフェーズに入っていきます。

【個性を大事にしよう】が標語ではなくて
一番大事な時代になってきていると感じる今日この頃です。

 

 

 

PS

例えばですけど、

20XX年。
全ての人間がコンピューターへ物理的に繋がるようになって早2年。

この世界においては、ネットワーク内の移動は
元々の人間の空間認知能力を使って行われる。
つまり、認知能力が優れている人間ほどネットワーク内の移動が早く
それがその人間の評価基準の大部分を占めている。

今ではなくなった言葉だが30年前には
『視覚障害者』
という言葉があったという。

前世界において視覚障害を持っていた人間は、
視覚に頼れない分、音や電磁波を利用して
空間を把握していたと考えられている。

そして、その能力はネットワーク内の移動速度に直接影響した。

現在、人類の中で上位に位置する存在のほとんどは
『元』視覚障害者であり・・・

みたいな世界が来てもおかしくないわけですからね。

みんなで同じところを目指しましょー。
ってのが如何に危険かって話です。

 

 

-今日の出来事, 人気記事