今日の出来事

震災から8年


 

こんばんは。
としぞーです。

 

3.11から8年が経ちました。
このような震災系の話題は
ブログとかで書くようなことではないと思っていたり、
それをネタにしてセールスをしている人への憤りもあったりで
あえて取り上げないようにしていたのですが
今日はちょっとだけ触れさせていただきます。

 

 

と言うのも、僕が起業したのは
2011年の10月。
3.11の年でした。

 

震災の日。
僕は前職の勤務地である渋谷道玄坂で
内勤営業をしていました。

 

ちょうど、営業をしている隣の部屋では
お客さんを呼んで専門の講師がセミナー中。
たまたまその日は本部会議があって
僕の直属の上司は池袋の本社へ出ていて
その事務所で立場が一番上なのが
僕という状態でした。

 

震災の瞬間は今でも鮮明に覚えています。
なんと僕が勤めていた渋谷のビルが
渋谷で一番古いビルだったらしく
揺れるどころか、ビルが割れたんですね。
床が割れて、上下にビルが擦れているのが
目の前で観れてしまうという。

 

確か都内は震度5強とかそれぐらいだったと思うので
現地ではどれだけ大変な揺れだったのか。
想像するだけで身が震えます。

 

揺れている最中は、事務所のみんなが阿鼻叫喚だし
僕自身も「あ、これはダメなやつっぽい」と覚悟しました。

 

そして、強い揺れがおさまると
事務所の中はぐっちゃぐちゃ。
顧客情報のリスト用紙なども床に散乱しているし
窓は割れてるし、机はひっくり返っているし。
しかし、そんなことを気にしている余裕はありません。
なんせそこにいる全員が
「このビル多分ぶっ壊れる」
と思っていたからです。

 

急いで事務所の人間を誘導して
10階の事務所から非常階段で逃げ出しました。
一応自分が先導役にならないといけないので
冷静を保って、みんなを欠けることがないように誘導しました。
一通り誘導が済んだところで
とりあえず代々木公園を避難先に選び、
道玄坂を歩き出したそのとき

「あ、セミナーの部屋」

と思い出しました。

 

隣でやっていたセミナーの参加者や講師を
そのまま置き去りにしてきてしまった・・・
冷静なつもりがパニックだったようで
セミナー部屋のことを完全に忘れていたのです。
ものすごく焦って、自分一人で10階にダッシュで戻ったのですが
確認するとすでにもぬけの殻。
部屋にいたセミナーの補佐役が避難を
先導してくれていれば良いのですが、
そのときには通信がもうできない状態だったので
確認するすべもなく、またビルの外に戻りました。
(結局その補佐役がちゃんと誘導をしてくれていた)

 

このときすでになんかかなり変な心理状態で、
ちゃんとできなかった自分に対して強い憤りを感じていました。

 

その後、代々木公園に避難する最中に
公衆電話から本社に連絡したところ
「とりあえず個人情報あるから事務所に鍵をかけに戻れ」
と訳のわからない指令を与えられて
自分だけまた戻ったりしながら
帰ることもできない渋谷でうろうろしていました。

 

とりあえずその日は代々木にある同僚の
家に泊まれるという話になったので
帰ることのできない8名ぐらいで
ぼーっとしていてもしょうがないから
ご飯を食べに行くことにしました。

 

というのも、そのまま帰って寝ても良かったのですが
8名の中に大きな被害を受けた大船渡市出身の
男の子がいたのです。当時、23歳ぐらいだと思います。
大船渡というと、例の津波の映像の場所です。
避難中にワンセグでその映像が流れ、
その子がどんどん憔悴していくのがわかりました。
ご両親や親族が大船渡市で漁師をされていて、
家付近も明らかに津波に流されていると、
かと言って連絡をしても繋がる状態じゃない。
現地に行くことすらできない。
そんな状態でした。

 

彼を一人にしちゃいけないというのと、
じーっとしていてもしょうがない。
なのでみんなでご飯を食べに行き、
お酒も飲むことにしました。
なんか必然的にそうなりました。

 

彼も彼で、明らかに強がりながら
「まぁ気にしてもしょうがないですし!」
と元気そうにしていたのが本当に辛そうで。

 

そして、24時ごろまでお店にいて、
それから徒歩で同僚の家にお邪魔して、
その家でもずっとニュースを見ていました。

 

彼は寝るわけでもなく、
黙ってずっとそのニュースを見ていて
周りは何ができるわけでもない。
その日はみんな一睡もできませんでした。

 

 

翌日、なんとかみんな家に帰れるようになり
それぞれが帰路につきました。
僕も一旦は家帰り、少し休もうとしました。
会社は3日間休みなことが確定していたので
実家にも戻らないといけないし・・・
などと考えたりして。

 

でも、なんか釈然としなくて、
何かできないかなと悶々としていました。
おそらく震災直後の対応に対する罪悪感とか、
そのようなものが重なって
焦っていたのだと思います。
「まだ自分は何もできていない」と。

 

そしてふと、Twitterを除くと、
同僚の彼とそれ以外にも身内の
安否確認をtweetしている人が
沢山いました。

 

そうか。まだみんな安否確認が取れてないんだ。

 

当時たまたま実験的に自分のアカウントで
フォロワーを増やす試みをしていたので
無駄にフォロワーが2万人以上いましたので
それが何になるかわからなかったのですが、
ひたすら安否確認のTweetをRetweetする作業にかかりました。
(今思えば思慮が浅いのだが)

 

それをやることで、免罪符を得るような、
自分はちゃんと役に立てていると
勘違いができるような気がして
前の日も寝てないのにその日も一日中
Tweetとにらめっこをしていました。

 

結局、初日はそんな感じで時間が過ぎ、
3日も休んでられないので
翌日には休日出勤して事務所を片付けに行き、
その3日間はそんな感じでバタバタしていました。

 

本当に良かったのは、3日目に
同僚の彼から連絡があって親族が全員無事だったと。
これは本当に良かった。力が抜けました。

 

しかし友人たちの何名かは流されてしまったとか、
実家の船も全部ダメになってしまったとか、
全然良い状態ではないんですけどね。

 

休日明け、出勤してきた彼の姿を見てびっくりしました。
冗談じゃなく、髪の毛が真っ白になっていたのです。
白髪混じりレベルじゃなくて真っ白。
どれだけしんどい思いをしてこの3日間過ごしていたのか。

 

余談ですが、その彼はその1ヶ月後、
会社を辞めて地元に戻りました。
漁業で地元を復興させたいということで
今は元気に地元でワカメ漁をしています。

 

ほとぼりが冷めた後に自分に残っていたは
圧倒的な虚無感と自己否定感でした。

 

正直、震災当日までは、
営業でいい成績がずっと出ているし
狭い世界で生きている人間特有の『万能感』に満たされていて
あたかも自分がすごい人間だと勘違いしていたのです。

 

でもいざ有事の際には、
正しいこともしっかりできるわけじゃないし
なんなら全員避難させてという義務よりも
自分が助かりたい、を優先させたとも言えるし
本当に困っている人が近くにいるときに何もできなかったし。

 

自分の人生ってなんなんだろうな。
って本気で考えるようになりました。

 

そこから明らかに雑念を持って仕事をするようになり
最初は「もっと今の仕事を頑張らないと」と
やる気を燃やしていたのですが、
どうもそれがしっくりこずにストレスで入院。
その後、活路を起業に見出して独立。

 

間違いなく、3.11が起業のトリガーに
なったものだと思っています。

 

 

少し離れた東京にいた僕ですら人生においての
大きな影響を受けた大震災。

 

被災地により近い方々の人生に
どれほどの影を落としたのかについては
僕の想像力では想像しきれないほど
大変なものであったと思います。

 

完全な復興まではまだまだ時間がかかると思いますが
少しずつの前進と、被災者の皆様が毎日を
少しでも前向きに暮らせることを祈っております。

 

自分ももっと頑張らねば。

 

 




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