ビジネスマインド

『である』と『する』についての考察

 

 

 

お疲れ様です。としぞーです。

 

今日もビジネスとは全く関係なさそうな話を長めに書きます。

 

ビジネス系の内容に関しては、
以下のまとめ記事などを参照してくださると幸いです。

 

 

 

さて。

 

最近【日本の思想】という本を読んだんですね。


 

日本の政治学者である丸山眞男さんという方が書いた本で、
1960年代に刊行された古い本です。

この本が傑作でして。

 

 

ざっくりとどんな本か紹介しますと、

日本って国はそもそも思想があんまりない国で、
例えば武士道ってのは仏教と神道と儒教のハイブリッドだと言われたり、
明治維新後の日本は急速に欧米文化をこれでもかと取り入れたり、
歴史のそのときそのときにおいて、様々な思想を吸収し、
コロコロと形を変えてきていると言うんですね。

 

逆に考えると、外から入ってきた異物を
対立することもなくすんなり取り入れてしまう。
(西洋だったら新しい思想は激しい対立を生みますので)

 

そして、その形作られた思想が長期にわたって定着することもなく、
あたかも前時代の思想は忘れ去られてしまったように、
新しい思想がまた現れる。

 

つまり、西洋のように『思想の歴史』と言うものがほとんどない。

 

主に、その原因を解説した本です。

 

 

ざっくり言うと、日本という特殊な集団はどんなスキームを持っていて
どのように集団思想が形作られているのか?
という非常に面白い議題に突っ込んだ本なんです。

 

 

ちなみに、オススメはしません。

前提知識がないと多分理解が進みにくいのと、
単純に難しいです。

上記の内容にめちゃくちゃ惹かれる!とか
日本の歴史や、世界の思想にある程度知識を持っている。
みたいな人にはごっつオススメですけどね。

 

 

今日したい話はそこではないので、本題に入ります。

 

 

その本の中に

【「である」ことと「する」こと】

という章があります。

 

例えば江戸自体などは身分制度が浸透していたので
私は武士である。とか私は商人である。
のように『である』ことが重要視された社会でした。

 

そこから近代化が進むにつれて、
やがて社会システムは『である』から『する』に変化してきたと。

 

例えば、仕事を『する』という行為において、
そのカテゴリーの下層に私は課長『である』という概念がありますよね。

 

江戸時代の話に戻ると、当時は『である』が最上層に君臨していて
その中で『する』ことが分類されていたはずです。

 

 

言い換えると、

江戸時代においては『私は何者である』の前提において
『あれをする』『これをする』という行為が発生していたわけですが、

現代においては『私はこれをする』の前提において、
『私は何者である』という概念が発生していると。

 

つまり『である』と『する』のパラダイムシフトが起こっていると
捉えているのです。これは慧眼だと思います。

 

 

そこから、日本の問題点へと話題は移り、
例えば会社の上下関係がプライベートに持ち込まれるという
日本特有(?)の現象においては、
『私は仕事をする』の下層に位置している『私は課長である』という概念が
いつの間にか『私は仕事をする』の上層に鞍替えしてしまって、
『私は休日を取る』に影響を与えてしまっていると。

 

 

これは、日本の古くからある封建制を発端とした社会性に加え、
急激な近代化による失敗だと本書では分析されていて、
『である』社会に急に『する』文化が注入されたことにより、
すんなりと『する』社会への移行に失敗し、
今もまだ、『する』社会を『である』の思想が支配している。
と指摘されているのです。

 

 

ちょっと難しいですかね?

 

これって、まさに今の日本社会の弱点を端的に示した
めちゃくちゃ重要な視点なんですね。

 

このことを基盤にして、今の日本式システムを捉えてみると、
今後、さらに資本主義の流れを加速させて『する』側に移行するのか、
それとも一旦立ち止まって『である』側に先祖返りするのか。
実は今我々はこの岐路に立たされていることが見えてくるんですよね。

 

 

すいません。

 

これすらも脱線でした笑

 

 

今日書きたかったことは、もっとフワッと
『である』と『する』について捉えると
面白いことが見えてくるよね。って話でした。いかんいかん。

 

 

例えば、アウトドア的なレジャーで考えるとわかりやすいんですけど、
これらの本来憩いのものだったものについても
『する』の侵食がだいぶ深いところまで進んでいると考えられるんですね。

 

本来、キャンプをして休日を過ごすって、
休日を堪能『する』ことが目的だし、
目的というか、状態ですね。単に休日だって状態と、
キャンプをしているって状態。
だからこそ、そこに憩いの成分が現れるわけですよね。

 

しかし、昨今の状況を見ていると、
キャンプを『する』こと自体が目的になっていて、
休日『である』状態を追い越しているような気がするんですよね。

 

状態と目的が逆になっている気がして、違和感を感じるんです。

 

 

もう少し雑に解釈して、ビジネスで考えてみましょうか。

 

今って、比較的『どんなビジネスをする』ことが重要視されているじゃないですか。
でもよく考えてみると、本当はその上位層に
『自分は幸せである』とか『自分は充実している』とかの
状態があるはずなんですよね。

状態があるから、目的が生まれるわけなんで。

 

でも、なぜかその主従関係が逆転してしまっていて、
目的の方が状態を追い越してしまっているんですよね。

『〇〇をする』がスタートになってしまっている。

 

 

これには様々な要因が考えられますが、
そのうちの一つに消費刺激の過度なインフレがあると思います。

もうね、あれやった方が良い、これやらないといけない。
って情報が無駄に溢れすぎているんですよ。

資本主義を成り立たせるためには、
消費と生産が延々と右肩上がりで伸びないといけませんから、
そうなるのは理解できるのですが、
特に最近の消費刺激はそれを理解した上でも異常です。

おそらく、マネー経済の伸びが加速度的に早くなってしまっていて、
一方で実体経済の伸びは年々落ち込んできていて、
今までの消費刺激では成長をまかなえなくなっているのではないか?
そう考えているのですけど、まぁ結果として刺激が強いんです。
(この考えが正しいとすると、近いうちに金融市場は破綻します)

 

 

そのような要素があるために、
『する』にばかりスポットが当たり、
結果として我々の行動が変容してしまっていると。

 

当たり前の話ですけど、
人間は本来的には元々『である』の性質しか持っていません。

 

そこをベースとして『する』が加わることにより、
社会が生まれるわけですけれども、
そのことからも昨今の『する』先行の風潮には
個人的に大きな危機感を感じているって話でした。

 

今一度、『である』と『する』の関係性を
考え直す時代なのではないかな?
と思えてきてしょうがないのでございます。

 

休みの日はさ、『休みである』で十分な気がするんですよね。

 

 

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