【極論】今を一生懸命生きるしかないって話
こんにちは。
柔軟を入念に行っても一向に体が柔らかくならないととしぞーです。
今回も取り留めもないことをダラダラ書きます。
ちょっとだけ頑張れるようになる考え方かもです。
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— としぞー (@toshizo_TL) June 10, 2020
さて。
僕って昔から夢想するタイプの男の子だったじゃないですか(知らねーよ)
小学校の帰り道には一人で誰かと傘を使って戦ってたし、
寝る前には自分オリジナルの冒険活劇をストーリー破綻させながら夢想していたし
会社員時代も帰り道には好きな音楽聴きつつ、エンドロールを
想像しながら哀愁を片手に歩いていましたからね(わかる人にはわかる)
それと同様のベクトルで、思考実験とか大好きなんですよ。
頭の中だけで完結する的なやつね。
んで。
この前ふとこんなことを考えたんですね。
仮に今自分が見ている世界が全部夢で、
ある日起きたらそれまでの経験は全部夢オチで
中学生ぐらいの自分に戻っていたらどう感じるだろう
よくある系の思考実験です。
思うに、今に最大限満足している人はそれは嫌だなって思うだろうし、
今に不満がある人は嬉しいことと捉えるのではないでしょうか?
ちなみに、同様の方向性で、過去に戻れるならいくら払う?
って思考実験もありますね。
過去に戻ってる時点でいくら払うとか関係ねーじゃんってのは無しで、
この問いってのは今の自分の価値を数値化するのに
一定の意味があると思っています。
話を戻します。
そんなことを考えていたんですけど、
僕としてはもし今見ている現実が夢だったら
めちゃくちゃ嫌なんですよ。
もう本当に嫌。
死んじゃう。
単純に、今の生活に非常に満足しているし、
過去に後悔はないし(人生で後悔したことないです)
家族のことも大好きだし、今周りにいる人たちのことも大好きです。
だから、仮にもう一度人生をやり直せるチャンスがあっても
【今】を超える自信がないんですよ。無理。
どうあがいても今以下になってしまう気がするし、
今以下になるリスクがある以上、やり直したいなんて思わないんですね。
それで。
そう考えたときに、ふと
「あれ?これっておかしくね?」
って思ったんですよ。
(【僕ら】って勝手に一括りにして申し訳ないですけど)
僕らって基本的にはビジネスで自分の生活を成り立たせて、
その上で自由を勝ち取り、幸せを追求して行こうぜって
マインドで生きてるじゃないですか。
で、その前提として
『幸せに生きるためのマインドやノウハウって確かに存在していて
それが蓄積するとより幸せに生きられる可能性が高くなる』
ってのがあると思うんですね。
明確に言語化はされていないんですけど、
確かに根本にこのような考え方は根差していると思うんです。
でもおかしいんですよね。
それがそうなんだとしたら、
中学生時代から今まで生きてきた自分と、今この瞬間の自分を比べると、
明らかに今の自分の方が人生経験も豊富だし、
いわゆる幸せになるためのマインドを持ち合わせていると考えられますよね。
だったら、過去に戻ってそのマインドでやり直した方が
絶対に良い人生が送れるって言えるじゃないですか。
理論的には。
もちろん、現在持っているものへの損失回避の法則が働いているからとか
指摘できる箇所は間違いなくあるんですけど、
少なくとも僕は仮に今のマインドを持って過去にジャンプしたとしても
今以上のものを構築できる自信がないんですよ。
いや、お金を稼ぐとかだけであれば可能ですよ。
僕なんて別に今高収入ってわけでもないですから、
過去に戻って2005年の有馬記念でハーツクライに
貯金全額ブッ込めばいいだけですから。
でも満足した人生を送る。って意味では、
過去に戻るメリットがどこにも存在しないんですね。
これは困ったことです。
んで、そう考えていくと、
幸せな人生を送るためには、単にそれを達成できるマインドだけでなくて
むしろ生きていると出会う偶発的な出来事の割合の方がでかいんじゃないか?
って結論を導き出せるんですよ。
結局、過去に戻って今以上または今と同じことを繰り返せるか?
って問いにイエスと答えられないのは、
偶発性に恐怖を感じているからじゃないですか。
世の中がいつも同様にルールに沿って動いているだけなら、
同じことが繰り返せるわけですけど、
バタフライエフェクトという言葉がある通り、
世の中はカオス理論的な偶発性で満たされているんですよね。
確かにマインドや経験は非常に重要なファクターなんだけど、
偶発性の威力の前には影を潜めてしまう。
そういう風に考えることもできちゃいます。
じゃあですよ。
翻って極端に考えると、これから生きていく未来に関しても
同様のことが言えるんじゃないかってなりますよね。
確かに生きていく上で、また、稼いでいく上でもいいんですけど
それに対するマインドだったり知識だったり経験だったりってのは
とても重要なことではあるんだけど、
それ以上に偶発性の力っていうのは強くて、
それによって人生なんてどうとでもなる可能性があるとも言えるんです。
であるならば結論として、
今の自分に関してマインドとかいろんなものを
身につけていくってのは重要なことなのだけれども、
過去を振り返ってもわかるように、結局偶発性を包括した
結果論でしか今の自分を語れないんだから、
結果論で語れるその時が来るまでは、とりあえずマインドとか以前に
一生懸命生きるしかないんじゃね?
とも捉えることができちゃうって話です。
それをしてきたのが、結果として今の僕であり、
今の皆さんなわけで。
何が言いたいのか、いまいちわからないですよね?
僕もわかってないので大丈夫です。
なんと言いますか、
頭でっかちにマインドがどうとか、なんちゃらかんちゃら
ってのも大事なことは重々わかっているけど、
その圧倒的上位に『今を真剣にただただ生きること』が君臨していて
僕らがまず考えるべきは結局それなのかもしれないなぁ。
と思うって話ですね。
昔から、自分の人生の評価は過去を振り返らないとできないと思ってて、
つまりは人生の満足度って結果論で表されることになると。
そうすると今がどうってのは意外とどうでも良いことで
とりあえず過去を振り返るその時までは
目の前のことをただただ真剣にこなすしかないってことなのかなぁとか。
この記事で何を伝えたかったかってことはとうの昔に
忘れてしまったんですけれども(笑)
今読み返して思ったのは、
目の前に生きるべき人生があるにもかかわらず、
余計なことに心を奪われたり、人と比べてしまったり、
悩んでしまったり、そういうことってよくあると思うんですよね。
でも、今回みたいに考えると、
何はともあれ粛々と目の前のことをこなし続ける。
結局できることってそれしかなくて、
それしかないんだから悩む必要なんてないんだから
馬鹿みたいに目の前のこと片付けて行こうぜ。
ってことを伝えたかったんですね。多分(適当)
まぁでも自身の過去を振り返っても、
結局そのときそのときに決めたことを
ただただ真剣にこなして生きてきただけで
そこにテクニックも人生経験から来る判断も存在していなかったように思います。
それで満足のいくとりあえずの今を生きてるんだから
それでいいんでしょうね。
考えるな。やれ。
です。
この記事も、書いていて意味が分からなくなったので
アップしようか迷うところですが、
考えずにアップしようと思います。
気配だけ感じ取っていただけますと幸いです。