コストと意味の話をします。
2017/09/30
人はいつか死にます。
これは確定事項であり、この理から抜け出せる人は存在しません。
その間、たった数十年しかないわけで、
本当に人間ってのはかない生き物だと思います。
長い歴史から見たらほんのちょっとの期間で
生まれたり死んだりを繰り返す生き物。それが人間です。
ですが、自分の人生。と考えるとその感覚は逆転します。
自分が生まれる前と死んだ後は極端な話、あってないようなものなので
生きているこの瞬間が全てだということもできるのです。
ですから、その生きている瞬間、つまり『人生』を
いかに充実させるかが全てなのではないかと、僕はそう思っています。
いきなり何やら怪しい入りで始まりましたが笑
この記事では『人生を充実させる』ための一つの考え方について
提案してみようと思います。
これは僕自身が長いこと考え続けてきたことであり、
ここ最近の僕のモチベーションの源泉となっている
根本的な考え方でもあります。
きっと、何かしらのヒントにはなると思いますので
最後までお読みいただけるととても光栄です。
まずは自分の話をします
起業して数ヶ月は必死でした。
それもそのはず。結果が出ないと飯が食えない。
家賃が払えない。生きていけないからです。
人間、追い込まれるとどれだけでも頑張れるんだなぁ。
と、今振り返るとそう感じます。
当時はとにかく働いていました。
仕事以外のことを考えている時間なんて、まずなかったと思います。
その甲斐あってか、しばらくすると生きていくには
困らない程度の収入は入ってくるようになりました。
これで、ひとまずは最低限の収入を確保した。
そして、当たり前のように利益を伸ばしていくことを考えました。
タイミングが良かったのか、運が良かったのか、実力があったのか。
定かではありませんが、その後も利益は伸びて行きました。
物販以外の事業にも手を出し始めて、そこでも大きな収益が上がりました。
気づけば法人化までして、役員報酬もそれなりにもらうようになったのです。
会社組織である以上、もっともっと事業を拡大し、
収益を増大させなければ。
そう考えて、創意工夫をし、膨大な作業をこなし、仕組みを作り。
そうやってどんどんと高みを目指すのが『当たり前だ』という時期が
ある程度続いたんですね。
ですが、あるとき急に、大きな虚無感に襲われました。
今取り組んでいる『事業の拡大』『収益の増大』って、
これ誰のためにやっているんだろうか?
本当にやる必要があるものなのだろうか?
冷静に考えてみると、その取り組みに『意味』はなかったのです。
なんとなくそうするのが正しいことだと思い込んでいて、
だから取り組んでいる。ただそれだけ。
これが法人化をして1年たった頃に感じた複雑な感情でした。
それから、数え切れないほど悩んで、時にはメンタルをやられつつ
仕事とか、人生とかについて深く考えるようになりました。
そして、結論から言うと、仕事の仕方を大きく変えました。
事業は大きくしない。組織も作らない。
自分が価値を感じる仕事だけにできるだけ注力をする仕組みを作る。
ここ数年は、これだけを考えて仕事をしています。
特に今年はその想いが顕著です。
あまり細かい数字は書きませんが、
実は今年に入っておもいっきり会社の収益が減っています。
意図的に減らしているのですが、
どんどんミニマムになってきています。
どう考えても世間一般からしたら不正解な動きなのですが
僕は、自分自身にとってはこれが正解に近い動きなんだろうと
そう確信して毎日仕事をしています。
そして、今の所その動き方がものすごくしっくりきています。
収益が多かった他の年と比べても随分幸福度が高いです。
そこには明確な理論があります。
それを解説させていただこうと思います。
まずは自分自身のコストを知ること
今の社会、人間が生きていくためには必ず『コスト』がかかります。
そのコストは環境や価値観によって大きく個人差があり、千差万別です。
例えば、地方に一人暮らしをしている人ならば
月に20万もあれば普通に暮らすことができるでしょう。
しかし、都内で家族4人ぐらしをしている方の場合
月20万では到底暮らしていけません。
同時に、高級料理店に行かないと満足できない舌をお持ちの方もいれば、
ファストフードで十分満足できるリーズナブルな舌を持っている方もいます。
(僕は後者です笑)
お金のかかる趣味をお持ちの方もいらっしゃれば、
『人間観察』のようなコストがかからない趣味をお持ちの方もいます。
子供が県立学校にくか、私立に行くか。
大学まで行かせるかそうじゃないか。
などによっても大きくコストが変わるのです。
まず、基本的な考え方として、人間個人個人に固有のコストがあると言うことです。
そしてそのコストは人によって大きく違い、その違いには
その人のいる環境や、価値観が大きく影響しているということです。
そして、人生を充実させるためにまず何より重要なのが
『必要コスト分を確保する』ことなのです。
マズローの欲求5段階説でいう『生理的欲求』『安全欲求』『社会的欲求』。
これらの『低次の欲求』と呼ばれるものを満たすためのコストを
しっかりと確保すること。まずはこれが最優先です。
先ほど僕自身の話で
『収益を伸ばすつもりがない』
と書きましたが、これは間違っても『お金はいりません』という意味では
ないことはご理解いただけると思います。
生きて行くためにはお金が必要なのです。
そのためのお金がないうちから
『人生お金じゃない!』
というのはわかる気がするけど、ちょっと違うと思うわけです。
どうしたって、お金は必要なのです。
ただ、ここが非常に難しいポイントでして、
『お金は必要だ』という一点のみに注目してしまうと
必要以上のお金を追い求める原因につながってしまいます。
もう少し細かく解釈する必要があります。
僕はこう解釈しています。
『自分自身に最低限必要なコスト(お金)は必要だ!』
これですね。
逆説的に言えば、自分自身に最低限必要なコスト以上のお金は
必要ないのではないか?という理論にもなります。
ここが、僕の考えている『人生を充実させる方法』の
スタートになる考え方です。
まずは自分自身に必要な『コスト』はどのぐらいかを知る。
資産がいくらあって、毎月の収入がいくらあることが必要なのか?
それを明確にすることから全てが始まります。
そもそも、この辺りをしっかりと把握しないままビジネスをしている方って
結構多いのではないでしょうか?
僕自身もそうでしたので。
そして、その基準が見えてきたら、まずはそれをクリアする。
個人でビジネスをするならばしっかりと利益を出して、
資産を増やしつつ、収益が安定するような仕組みを作り上げる。
これはどう考えても必要です。ここでは綺麗事は言えません。
それがクリアになるまでは言い訳一切なし。
やらねばやられるの精神で、死ぬほど働くことをオススメします。
ここで死ぬほど働いて損をすることはまずないでしょうから。
しかし、問題はその基準をクリアした後です。
ここからはバランス感覚が求められるフェーズに入ります。
コストを意味が上回る
生きて行くために必要なコストを稼ぐ行為に、
意味なんてありません。
それは原始的な欲求であり、人間本来の行動に近いからです。
しかし、そのコストを賄えるようになったあと、
そこからが問題なのです。
僕は、必要コストを確保した後に、さらにお金を稼ぐ行為を
全て余分な行動だと思っています。
語弊を恐れずに表現すると、蛇足、無駄、そういう意味合いです。
ただ、これはその行動自体を否定するものでは一切なく、
『意味もなくいつまでも稼ぎの額を追うこと』
をもったいない行動だと思う。そういうことです。
つまり、裏を返せば
『コストを確保した後の行動には全て意味が求められる』
のだと思っているわけです。
その意味が単に『お金を稼ぐ』になってしまうのは
原理的に考えてもおかしなことなのです。
だから例えば、
ー会社を大きくして雇用を創造したい
ーこのビジネスで社会貢献をしたい
ーでっかいオフィスを構えてドヤ顔してみたい
ー周りに自慢ができる会社を作りたい
ー高級外車を乗り回したい
ー海外に移住したい
こういった目標には当然意味がありますから、
とても充実したものになるはずなのです。
問題は『意味もなく利益を追求すること』だと思うので
ここだけは絶対に避けるべきなのです。
『意味』とは何もビジネスだけに見出すものではありません。
ー毎日趣味の釣りをしていたい
ー昔の夢だったミュージシャンにもう一度挑戦したい
ーできるだけ家族との時間を長く取りたい
ー子供の教育に全精力を注ぎたい
ー世界各地を見て回りたい
これらの目標があった場合、
事業を大きくして利益を伸ばすことが、
目標と必ずしもイコールではないことがあるのです。
その場合は、事業の拡大などは考えずに
その目標を最優先することが何よりも正しいと、僕は思います。
つまり、必要最低限のコストを確保するまでは、
そのコストを確保するための行動=お金稼ぎが
全てだと言えるのですが、
コストを確保した後は、さらなるお金稼ぎと比べても
『意味』の方が圧倒的な価値の大きさになるということなのです。
今はまだそのコストを確保するために頑張っている方からしてみれば
「何を贅沢なことを言っているんだ」
「そんなことどうでも良い話じゃないか」
と思うかもしれません。
実際、僕もそうなるまではそう思ってましたから。
「金持ちの戯言だろそんなの・・・」
って思ってました笑
ですが、実際、そのコストをクリアした人の中には
その後の目標がなかったり、何のために仕事をしているのかが
わからなくなってしまって、苦しんでいる方がかなり多いんです。
少なくとも、僕はそんな悩みをたくさん聞いてきましたから。
そして、今必要コストを確保しようと必死で頑張っている方
(まじで頑張ってくださいね!絶対達成できますから!)
そう言った方も、そのまま頑張っていればいずれそのフェーズがやってくるのです。
その時のために、ぜひ今回の話は少しだけ覚えておいていただきたいです。
もう一回自分の話をします。
必要最低限のコストを確保したとしても、
それでも不安があるからもう少し稼いどかないと。
そう考えることもできますし、至極当然な感情だと思います。
ですが、それをやりだすと、いつまでたっても終わらないループにはまります。
結局完全な安全地帯なんてないですから、どこかは必ず不安定なのです。
そこに着目しすぎると、結局最後までお金稼ぎをしていた。
で終わってしまうと思うのです。
そんな意味で、僕自身は一つの基準を設けました。
これは僕自身の基準なので、人によって違って普通ですから
あくまでも他人の話だと思ってお聞きください。
まず、僕の場合は毎月可処分所得で50万円あれば
家族を養って、プラスアルファぐらいの暮らしができます。
これ以上は必要ないです。はっきり言って。
(もちろん、平均よりは高い額だと思いますが)
その上で、1年間その収入が消えてしまっても
生活がキープできる資産。つまりこの場合は600万ですね。
その額があれば、その1年間でもう一度収入を構築できますので
一つの保険になりえます。
僕の場合はこの二つを満たすことでコストを確保したと認識しています。
そして、今は両方とも満たしている状態ですので、
これ以上の収益は考えておらず、必要がないのです。
その上で、僕自身は物販があまり好きじゃないのですが(笑)
コストを稼ぐために物販の仕組みを構築し後はサイトアフィリなどで
必要な収益を確保できる仕組みを作っています。
(ちなみに収益と可処分所得の関係に関しては以前関連記事を書きましたので
そちらをご覧ください。
生活費を稼ぐだけのビジネスでは上手くいかない3つの理由 )
そして、仕事自体は好きですし、勉強をしてスキルアップしていくことが
何よりも楽しいので、こう言った情報発信は続けたいと。
(そもそも、文字や言葉で表現することがこの上なく楽しいです。)
後は、コンサルなどに関してはやっぱり結果を出してもらった際の
嬉しさというか、達成感って他のことでは味わえないですし
アイデンティティを満たす素晴らしい仕事だと思っていますので
減らしはしましたが少しだけ継続はしています。
その上で、家族との時間をたくさん確保する。
変に多趣味なので、趣味の時間はガッチリとる。
これら全てに意味がありますので、
そのバランスを見極めながら暮らしているのです。
これが、変にお金を稼ぐことに執着してしまったら
一気にバランスが崩れてしまうと思います。
仮にですけど、それで1億稼げたとしても
きっと今よりも充実していないような気がします。
(僕の場合は、ですよ)
まとめますが
・生きていくために必要なコストを確保するのがまずは必須
・そこから先の『お金稼ぎ』には全て『意味』がないといけない
・コストを超えた意味のないお金稼ぎはきっと何も生まない
僕はそう考えています。
昔の江戸っ子は
ーその日暮らし
ー宵越しの金は持たない
生活をしていたなんて言われますが、
多分毎日が充実して幸せだったんじゃないかと推測します。
そこそこの期間、個人規模でビジネスをしてきて、
普通の人が経験しないぐらいたくさんの個人事業主の方とお話をしてきて
(やりとりだけで言ったら述べ1000名越えると思います)
少し僕自身こじらせちゃってる感はありますが笑
きっと何かの核心に触れる話だろうとは思います。
少しでも引っかかる部分があって、
それをプラスに変えてくれたら本当に嬉しいです!
長くなりましたが、最後までお読みいただき
ありがとうございました^^